
映画「ゴーンガール」。真実が伝わらないもどかしさ。人々の愚かさ。
先日、デビット・フィンチャー監督の新作を見た。「セブン」「ゾディアック」と問題作を撮り続ける人なので今回も注目。そろそろ上映も終盤なので、多少の中身を書く。これから見る人は読まないように。
毎回、フィンチャーの映画はまるで悪魔がほくそ笑みながら「人間なんて愚かなものよ」というような、テーマを感じる。今回もまさにそれだ。物語の前半は行方不明になった妻を探す話だが、次第にいろんな事情が分かってくる。そして妻探しのミステリーから、妻が計画した夫への復讐物語となっていく。
最初は妻が行方不明。悲劇の夫としてマスコミに報道される。が、やがて浮気をし妻を殺したと非難される全米1の悪辣な夫となる。それで終わるかと思いきや、妻の方にトラブルが起こり、計画を完了できず、さらなる展開があり、妻は夫の元に戻る。が、夫は全てを知っているが、最愛の妻が戻ったという芝居をせねばならなくなる。
興味深いのはその2人を取り巻く人々。アメリカ国民の反応。最初は「同情」そして「非難」「誹謗中傷」そして最後は「祝福」「賞賛」しかし、国民は誰も真実を知らない。テレビ報道やワイドショーで伝えられる上辺だけを見て、自分とは何の利害もない夫婦を応援したり、批判したり、賞賛したりしている。マスコミに振り回され、現実を見ていない。
これは今の日本も同じだ。実際は金持ち優遇策でしかない、何とかミックスをマスコミが「経済がよくなる」と伝えると多くが支持してしまう。そもそもの発端を知らず「悪いのはテロリストだ!」と憤る人たち。正確な情報や現実を知らず、マスコミの報道を鵜呑みにして、怒ったり、賞賛したりする。「ゴーンガール」に登場する人々。アメリカ国民と同じである。
フィンチャー監督はまさに、それを描きたかったのだと思える。人間の愚かさを悪魔があざわるように「お前ら何も分かってないくせに、愚かな...」と言いたいのだろう。それは凄く分かる。映画作りも同じで、例えばあまりにアホなスタッフがアホなことをして、製作を妨害し製作中止の危機を迎えたとしても、それを理解しない人たちがいる。
「ゴーンガール」で描かれたように「妻が家出したのは夫の浮気のせいではないか?」「邪魔で殺したのではないか?」と邪推する人たちと同じで、何も知らない人たちが、見た目や聞きかじった情報で、アホな者を庇ったり、支持したり、賞賛したりして大混乱することがある。
誰に問題があるのか? 何が問題なのか? 誰に責任があるのか? その真相を見つめることなく。表面的なことだけで判断。そんな人たちがよりトラブルを大きくする。フィンチャー監督も映画製作で同じ思いをした経験があり、今回の題材に興味惹かれたのではないか?とさえ思える。
表面だけ見て「酷い」「許せない」「裏切られた」と憤ることがあるが、それはある種の人たちの思う壷であったり、事実と違うことで罪なき人を攻撃し、本当に責任ある者を野放しにしてしまうことに繋がる。そんなことを感じさせる作品。興味ある方はぜひ。

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